コラム

[2013/03/04] 第56回 思考が大切な理由(わけ)

思考する

人を殺(あや)めてはいけない。このことを知らない、あるいは理解していない人間は少ないだろう。それでは殺人罪が刑法の何条で定められているのかを記憶していたり、どのような罰則を定めているのかを正しく理解している人はどの程度いるのだろうか。

(殺人罪)刑法199条 人を殺した者は、死刑又は無期若しくは5年以上の懲役に処する

この罰則そのものは、情報であり知識である。この行動の抑制は、人間の理性によって思考した結果にしたがって、ある一定の制御をするからである。法や規則などのルールに縛られているからでも、情報であり知識によって行動が制御されているからではない。

知識から思考を生む

人は仕事や生活の中で、自分は考えていると思い込んでいる。情報を集めて分析や加工はしていても(=知識にしていても)、自らの頭で思考している人は少ないものだ。何のために何を優先すべきなのかの基準や前提条件を定義せずに、過去の習慣、価値観や成功事例をそのまま複写している。実際には多くの人は仕事や生活の大半を、知識と思考の境界線を不透明にしたまま、知識によって行動を制御していることが多いのである。

「人を殺(あや)めては家族や友人が悲しみます。ましてや情状酌量の余地がないと判断されれば、極刑になることもあります。」これは客観的な事実である知識を並べているだけで、自らの考えや意見は1つもないことがわかる。「極刑を覚悟してまでもそうしたいのならば、残念ですがそれもひとつの選択です。」簡単ではあるが、これは自らの思考が生み出した意見である。最愛の娘を亡くされた両親の感情と知識を合わせることで、このような簡単な意見を思考から生み出すことができる。

思考とは知識を並べ立てることではなく、ある事実や知識をもとに意見や結論を導き出すことであり、考えることである。それには知識に対して「なぜ、どうして?」と疑問を持ち、自分に繰り返し質問する。そして「なぜならば、」と、その理由となる自らが思考した意見を述べる。このような思考する癖を身につけること、そして続けることが大切である。

思考が価値を生む

情報を集めてデータベースにすれば、とても利便性の高い知識データベースとなる。しかし情報が比較的簡単に手に入るネット社会(=人のつながりも含めた広義な情報ネットワーク社会)では、価値を生む情報源とはなっても、情報または知識そのものの価値は低くなっている。

日本人ばかりで、興味や関心も同じ方向性の人々が集まり、地元や親元から通っては均質な人脈しか築けない日本の学生。国籍や興味、関心の多様な人々が集まり、寮生活やホームステイを通じて、多様な人脈が築ける海外の学生。みんなが同じ方向を目指すことが良しとされる。褒められること、認められることや正しいことが求められ、失敗を恐れ主張することに躊躇(ちゅうちょ)する。数の論理によって答えが誘導され、多数派(マジョリティ)がはびこる。日本には、そんな画一性を求める傾向や社会偏重が潜在的にある。

もっと人それぞれの考えや意見、価値観が尊重されて良いのだろう。そんな多様性(ダイバーシティ)が積極的に尊重される成熟した豊かな組織または社会には、個人の意見や考えに基づいた自立性の高い行動が必要となる。画一化され大量に生産する時代から、多様化された個性のある商品が受け入れられる時代となり、思考する能力がこれからの価値や付加価値を生む社会となる。

その人の価値とは人生を経験または体験した年数、情報量や知識の多さではなく、その人の考え方や哲学であり、その魅力がその人自身の価値を生む。頭が良いだけでは尊敬はされない。感性の領域が付加価値となり、感覚(センス)を高めることが一般化(コモディティ化)を回避するのである。変革(イノベーション)は不確実性のなかに、少数派(マイノリティ)の思考によって生まれる。  <s.o>


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