コラム

[2011/10/03] 第39回 手段の目的化

「手段の目的化」とは、本来他の成果を得るための手段である行動について、その行動をとること自体が目的となってしまうことを指す。(ウィキペディアより)

パズル 筆者が以前に書いたコラム( 第35回:シンプルに考える)に、以下の一文がある。
「 情報収集は、いつまで経っても止められなくなることがある。 決断するための準備・手段である情報収集が、目的にすり替わっているのだ。」

手段と目的がすり替わる。目的を見失ったときに手段と混同してしまう。まさにこれらが「手段の目的化」である。一般に広く知られている社会行動だと知ったのは最近のことである。

「手段の目的化」は、ビジネスシーンだけでなく日常生活でも起きる。かつて筆者も経験したことがある。自然に親しもうと始めたアウトドア。いつのまにかアウトドア用品を揃えるのに夢中になり、休日に足を運ぶ場所といえば、もっぱらアウトドアショップ。アウトドア用品を集めるという行為そのものが目的になってしまった。

なぜ手段が目的にすり替わるのか?

筆者のみならず日本人は手段を目的化する傾向があるらしい。日本人は事の善し悪しを問わず、努力そのものに価値を見出すところがある。目的より対面や手段のあり方にこだわり、いつのまにか目的にすり替わってしまう。

目的と手段の区別が曖昧なままだと、目先の作業に気を取られたり、取り掛かりやすい作業に目が向いたりする。いかに完璧にその作業を仕上げるか、手段を完璧にしようとする方向に進んでしまう。こうなると本来の目的がなんであったかは二の次になってしまう。

目的と手段の関係は交錯する。例えば目的Aがあったとする。Aを実現するためにはBが必要であり、Bを実現するためにはCが必要である。このとき、BはAの実現手段であり、Cの目的でもある。こうして目的と手段は連鎖していく。この連鎖がより複雑に絡み合うほど本来の目的がわからなくなってしまう。

目的を見失わないようにするために

「手段の目的化」を回避し、本来の目的を見失わないようにするためには、日頃から自分自身に問いかけるという姿勢が大切なのだと思う。「その手段があれば、目的が達成できるのか」「なぜその手段が必要なのか?」「他にやり方はないか?」自ら考える姿勢を保ち自答し続けることで、目的を的確に捉え、さらには物事の本質にも近付ける気がする。<K.G>


コラム一覧はこちら